October 22, 2011

猟銃 @ PARCO劇場


 井上靖『猟銃』をそのまま、足し引きもリライトもせず、中谷美紀が滔々と語る。
 黒い背景に彩度の低い乳白色で映し出されたのは3人の女それぞれの手紙の冒頭。その奥、舞台より2メートルほどの段でロドリーグ・プロトーがパントマイムを行う。それらを背負って一人舞台に立つ中谷美紀。完成された美……! 大袈裟でなく、彼女の存在そのものが美である。マーベラス。
 90分一人語りは飽きるか?と予想した自分笑止。ぐいぐい引き込まれて、惹き込まれて、終わってしまうのが本当に惜しかった。(追記:千秋楽行く予定だったのだが、諸事情で断念)
 最前センターという幸運に恵まれて観劇。中谷美紀がたった1メートル向こうに!

■薔子
 原作では一番好き。「母さんの悲しいお顔を見詰めた儘、『そう。』唯それだけお返事しました」!
 終始早口でたたたたっと進む。みどりと対比させるためか感情抑えめで淡々と運ぶ、ように見えつつも常に爆発寸前の緊迫感。薔子は日記を焼いたから、穣介への憎しみも、興味も、恋心も、明確な形を持たないまま終わっていく。感情のクレッシェンドとデクレッシェンド(ピアノ→メゾフォルテ→ピアノくらい)が慎重に表現されていた。
 そんな中で、恋心が控えめに強調されていたと思う。「おじさま、穣介おじさま」でロドリーグ・プロトーの方をじっと見る演出好きだ。
 一度だけ出てくる祖母の台詞「彩子もいっこくもんで、出来た事は仕方がなかったのに」、中谷美紀がしっかりと30歳老けたのには驚いた。完全に老人の声。口調。そしてすぐに40歳若返り薔子に戻る。女優すごい。

■みどり
 度肝を抜かれた冒頭。薔子の女学生のような服を脱ぎ落とし、真っ赤なドレスの女が現れる。三つ編みは大胆に解かれ、出来上がった無造作パーマで一気に自堕落な女へ。そいつがくるっと客席に振り向き両腕を広げ、
 「みすぎ!! じょーすけ様ァァァ!!!!!」
高らかに自己主張しつつ、嘲笑すら浮かべて言い放つ。はい、やられた。
 薔子→みどりへの変化も、みどり→彩子への変化も、舞台上で行われる。一度退場するという選択をしなかったことで3人の女の共通性を炙り出しているのだろうか。
 原作=手紙では感情を殺しつつ皮肉を交えつつ平静を装った風なのに、舞台=生身のみどりはメゾフォルテ~フォルティシッシモ。常に燃えている。愛情に、憎悪に、寂しさに。激情の女。この解釈すごく好きだ。薔子、彩子との対比も映える。書簡体小説の舞台化ってこんな面白さがあるんだな。
 「少しなりとも貴方を揺すぶることが出来ましたか、どうか」でみどりにじいっと見詰めていただいた。最前センターの恩恵! 吸い込まれないよう踏ん張った。同じだけ真摯に、少し皮肉に見返すことができただろうか。
 最後、「お気に召しますか、どうかァァァ……」が切ない。ただの皮肉としか読めていなかったけれど、憎悪、未練、愛情、全部が叫びの尽きるのと共に消えてゆく様は圧巻。この舞台ではみどりに一番惹かれた。どうしたって惹かれずにはいられない。

■彩子
 中谷美紀本人に一番近そうな、品のある女性像。洗練された所作に見とれるばかり。みどりのゆるゆるパーマをきちんと櫛で整え、一筋も崩れないように結わえる(スプレーなしで)仕草に始まり、赤いドレスを脱いだ肌着の状態から死出の着物を自身で(鏡なしで、喋り続けながら)着付けていく様はさすが。無駄なく美しい。
 薔子ともみどりとも違い、悟り落ち着いた調子で進んでいく。常にメゾピアノ。
 「時雨に洗われた山崎の天王山の紅葉の美しさは今も私の目にあります」こんな文章を滑らかに口にできる女優は、自分の狭い了見では中谷美紀しか思い付かない。船のくだりも蛇のくだりも、ただただ美しい。

 中谷美紀は完璧。不完全さを含めて完璧。
 カーテンコールの「皆様の大きな拍手に感無量の女優」姿まで完璧。
 ほんとうにすごいものをみた。

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Maira Gall